高橋バイオリン工房~高知県四万十町~
2011年04月30日
イタリアでバイオリン制作の修業を約10年積んで帰郷した、高岡郡四万十町の高橋尚也さん(31)がこのほど、同町本町の商店街にバイオリン工房を開いた。
音楽関係者も「県内で初めてでは」と注目しており、高橋さんは「まだ駆け出しだが、まずは県内の方に知ってもらえるよう精いっぱいやりたい」と励んでいる。
「ちょっと飛びますよ」。のみの先に神経を集中させ、堅いモミの木をずりっ、ずりっと削っていく。身長182㌢の体が時折揺れる。
ボディー部分は、表板と裏板、中板の三つを張り合わせて作る。板の厚さは計器で測り、最後は手で触った感触が頼り。ニスを30回ほど重ね塗りして仕上げる。
「板の厚さや隆起、内部に取り付けるバスバー(共振用の部品)の角度とか、いろんな要因が組み合わさって音色が決まる。まだまだ自分の中で完成型があるわけじゃない。1本1本が挑戦です」
四万十町香月が丘の出身。兄の影響で中学生のころからエレキギターを弾き、音楽に親しんだ。バイオリンは、中学3年生の時に見たアニメ映画「耳をすませば」でバイオリン職人を目指す少年の姿に感激し、意識するようになったという。
自身でバイオリンを弾くことはなかったが、高校卒業後に東京の音楽専門学校に入学。思い切ってバイオリン制作を学んだ。職人の技で音色が決まる魅力に次第に取りつかれ、「いつか自分の工房を開く」と決意。修業のため、イタリアへ渡った。
バイオリン職人が集まる北部の町クレモナ。父親が有名な職人だったシメオネ・モラッシーさんのアシスタントになった。
「ストラディバリの修理にも携わった。削りは荒っぽく見えるけど、音色は強烈。自分の理想の一つ」
28歳の時、チェコのコンクールに出場。15時間以内にネックの先を作る競技に臨んだが、結果は約40人の中で中位に終わった。
「いい作品は削りの中に大胆さがある。自分も外見の美しさだけでなく、音色を含めた全体を見通す目を鍛えないと」
今年2月に帰国。多くのバイオリン職人が東京や大阪で開業する中、「故郷で作りたい」と迷わず帰郷した。3月末、四万十町の空き店舗を借りて工房をオープンした。
制作には1本1カ月はかかるという。「制作だけじゃなく、どんな修理も請け負う。気軽に相談してください」。素朴な笑顔の中に気迫が漂っていた。
問い合わせは、高橋バイオリン工房(080・6392・6900)へ。
音楽関係者も「県内で初めてでは」と注目しており、高橋さんは「まだ駆け出しだが、まずは県内の方に知ってもらえるよう精いっぱいやりたい」と励んでいる。
「ちょっと飛びますよ」。のみの先に神経を集中させ、堅いモミの木をずりっ、ずりっと削っていく。身長182㌢の体が時折揺れる。
ボディー部分は、表板と裏板、中板の三つを張り合わせて作る。板の厚さは計器で測り、最後は手で触った感触が頼り。ニスを30回ほど重ね塗りして仕上げる。
「板の厚さや隆起、内部に取り付けるバスバー(共振用の部品)の角度とか、いろんな要因が組み合わさって音色が決まる。まだまだ自分の中で完成型があるわけじゃない。1本1本が挑戦です」
四万十町香月が丘の出身。兄の影響で中学生のころからエレキギターを弾き、音楽に親しんだ。バイオリンは、中学3年生の時に見たアニメ映画「耳をすませば」でバイオリン職人を目指す少年の姿に感激し、意識するようになったという。
自身でバイオリンを弾くことはなかったが、高校卒業後に東京の音楽専門学校に入学。思い切ってバイオリン制作を学んだ。職人の技で音色が決まる魅力に次第に取りつかれ、「いつか自分の工房を開く」と決意。修業のため、イタリアへ渡った。
バイオリン職人が集まる北部の町クレモナ。父親が有名な職人だったシメオネ・モラッシーさんのアシスタントになった。
「ストラディバリの修理にも携わった。削りは荒っぽく見えるけど、音色は強烈。自分の理想の一つ」
28歳の時、チェコのコンクールに出場。15時間以内にネックの先を作る競技に臨んだが、結果は約40人の中で中位に終わった。
「いい作品は削りの中に大胆さがある。自分も外見の美しさだけでなく、音色を含めた全体を見通す目を鍛えないと」
今年2月に帰国。多くのバイオリン職人が東京や大阪で開業する中、「故郷で作りたい」と迷わず帰郷した。3月末、四万十町の空き店舗を借りて工房をオープンした。
制作には1本1カ月はかかるという。「制作だけじゃなく、どんな修理も請け負う。気軽に相談してください」。素朴な笑顔の中に気迫が漂っていた。
問い合わせは、高橋バイオリン工房(080・6392・6900)へ。
Posted by 編集長 at 20:51│Comments(0)
│いい話