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高知県出身。楽々亭嬉々編集長

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Posted by TI-DA at

駅のホームと電車の間に挟まれた女性を、乗客らが力を合わせて救出

2013年07月26日

 ラッシュアワーの混雑で知られる東京近郊で22日朝、駅のホームと電車の間に挟まれた女性を、乗客らが力を合わせて救出した。

JR東日本の報道担当者によると、さいたま市の南浦和駅で電車から降りようとした30代の女性が、電車とホームの隙間に落ちて身動きできなくなった。

乗客とJR職員ら約40人が重さ約32トンの車両を押してホームとの間を広げた。女性が引き上げられると、その場から大きな歓声がわいた。女性に大きなけがはなかったという。

電車の運転は8分後に再開した。
  


Posted by 編集長 at 12:41Comments(0)

サザエさん一家の銅像12体…ゆかりの駅周辺に

2012年03月26日

漫画「サザエさん」の作者・長谷川町子さん(1920~92年)ゆかりの地、東京都世田谷区の東急田園都市線・桜新町駅周辺に25日、サザエさん一家の銅像が登場した。

 訪れた地元の人が早速、記念撮影を楽しんだ。

 銅像は、自筆イラストをもとに12体。駅西口に一家7体が置かれ、北口など3か所にも設置された。駅近くには、長谷川さんの旧宅の跡地に建てられた「長谷川町子美術館」がある。駅前から延びる商店街には、漫画に登場する魚屋のモデルになった店もある。

 漫画の誕生から65周年を迎えた昨年、桜新町商店街振興組合が像の設置を企画。



  


Posted by 編集長 at 14:13Comments(0)楽しい話

「いいこと」の花、満開 ほめるたびに折り紙 兵庫

2012年03月18日


 いいことをしたら、折り紙を折って、廊下に飾ろう―。兵庫県加古川市の野口北小学校の阿部忠彦校長(60)が、そんな取り組みを続けている。いいことをしたと報告に来た児童をほめて、折り紙を渡す。廊下は折り紙でいっぱいになり、子どもたちには、自信が芽生え始めた。

 「トイレのスリッパを、きれいに並べました」、「算数、がんばった」。

 休み時間、校長室に児童たちが次々とやってきた。阿部校長は、「がんばったね」、「えらかったね」とほめながら、折り紙を手渡した。その場で児童たちはツルや花、飛行機などを折り、壁に貼り付けていった。



  


Posted by 編集長 at 09:17Comments(0)楽しい話

高知県安芸郡安田町~大心劇場~

2012年02月09日

安田の映画の灯守る~Uターン30年 ファンのため~

過疎が進む安田町で、小松秀吉さん(60)経営の映画館「大心劇場」が今春、開館30年を迎える。館主の2代目として映画とともに育ち、館を継ごうと戻った時には、すでに映画全盛期は過ぎていた。高知市の“シネコン”に客を奪われ、経営は悪化。それでも副業で生活費を賄い、スクリーンを守ってきた。節目の記念上映を始めた小松さんは「見たいという人がいる限り続ける」と決意を新たにする。

 カタカタカタ……

 小松さんが物心つくと、小気味良い映写機の音がいつも響いていた。俳優のポスターに囲まれ、中学の時には父に代わって映写機を回したこともある。

 まだまだ映画の時代だったが、1974年、大阪の大学を卒業して町に戻ると、3館あった映画館は実家だけ。それも空席が目立っていた。

 「ここだけは残して」。ファンの声に背を押され、82年4月、父の館をたたみ、近くに新たな館をオープンさせた。1スクリーン、102席。喫茶店も併設し、これまで200本以上の映画を上映してきた。

 この間、町の人口は2921人とピーク時の半分以下に、5人に2人が高齢者となった。上映は年に数回がやっとで、客が1人の日も。どうにか喫茶店で生活費を稼ぎ、小松さんが看板製作、映写機の操作、フィルム調達をこなしてきた。

 地元の老人ホームから「『愛染かつら』が見たい」と求められ、東京の配給会社と交渉してフィルムを取り寄せた。東京の映画好きがうわさを聞きつけ、「この劇場で見たかった」と、自費で借りた「ニュー・シネマ・パラダイス」のフィルムを持ち込んで上映会を開いたこともある。

 上映後には映画をさかなに語り合い、酒を交わす。上映がなくても近所のお年寄りらが桟敷席に集まり、壁一面の石原裕次郎や勝新太郎らのポスターを眺め、映画談議に時間を忘れる。

 町内の農業小島重二さん(80)は「田舎にいて、映画本来の迫力を堪能できるのは、ありがたい」と話す。テレビ収録で訪れた俳優の小林旭さんも「昔の映画館のようなロマンの世界に浸れた」と喜んだという。

 「映画は家族みたいなもの」と小松さん。「映画を見て、みんなで泣いたり笑ったりできる場。残したい」。記念上映会は8日まで、俳優渡辺謙さんらが出演する米中合作の「シャンハイ」がかかっている。

  


Posted by 編集長 at 00:24Comments(0)楽しい話

大船渡在住作家・川口さんの原作 「虹色ほたる」映画公開決定

2012年02月07日

 大船渡市在住の作家・川口雅幸さん(40)のデビュー作『虹色ほたる~永遠の夏休み~』が長編アニメ映画となり、5月19日から全国公開されることが決まった。アニメ界の重鎮が作品を手がけ、歌手の松任谷由実さんが主題歌「愛と遠い日の未来へ」を書き下ろし。夫で作曲家の松任谷正隆さんがBGMを担当する。2009年に映画化の話が持ち上がってから3年、被災した気仙地区に明るいビッグニュースをもたらした。
 同作は5年前の刊行以来ロングヒットを続けるファンタジー小説。児童書の扱いながら幅広い世代に読者を獲得し、累計発行部数は21万部におよぶ。
 描かれるのは、事故で父を亡くした少年・ユウタの成長譚。30年前にダムの底へ沈んだはずの村へタイムトリップするというストーリーで、田舎の原風景と夏休みの出来事が、人々の心に郷愁を掻き立てる。
 川口さんは大船渡町で宝飾店を営む傍ら作品を書きためていたが、この震災で店舗と住宅を失った。現在は店の再建に奔走しながら、来夏の新作発表を目指し創作活動を継続。3年越しの公開決定の知らせに、「とにかくほっとした」と胸をなでおろす。
 アニメーション制作を担うのは、『ドラゴンボール』『ワンピース』といった少年漫画や、『プリキュア』シリーズなどを手がける老舗・東映アニメーション。50年以上前から長編映画を数多く発表しており、世界の名作を扱うことにかけては一日の長がある。
 監督に、『ワンピース』劇場版を2作担当した宇田鋼之介さん。キャラクターデザインは『時をかける少女』の原画マン・森久司さん、美術監督は『涼宮ハルヒの憂鬱』の田村せいきさんという豪華なラインナップに加え、主題歌は国民的歌手の〝ユーミン〟。同作にかける制作サイドの意気込みは大きい。
 「すたれることのない、王道の物語を書きたい」という強い思いを持つ川口さん。届けられた絵コンテやキャラクターデザイン、美術設定から「流行を追うのではなく、長く愛される作品にしよう」というスタッフの熱意を感じ、「自分の小説をそのように受け止めてもらえ、ありがたかった」と語る。
 映画の上映館・館数は未定だが、川口さんは、津波でふるさとが失われたことと作品に登場する村の姿を重ね合わせ「イメージのだぶる部分がある。地元でも上映してほしい」と希望している。
  


Posted by 編集長 at 09:07Comments(0)しみじみ話

津波に襲われ不明の愛犬 9ヵ月半ぶり、涙の再会 

2012年01月20日

 宮城県山元町で東日本大震災の津波に襲われ、行方不明になった犬が昨年12月下旬、9カ月半ぶりに飼い主の元に戻った。犬好きの近所の住民が保護していた。元気に散歩している姿を飼い主が偶然見つけ、涙の再会を果たした。飼い主は「まさか生きていたなんて…。奇跡だ」と感激している。

 飼い主は、山元町で焼鳥店を経営する工藤瞳さん(54)。9歳のオスの愛犬「ジャキ」と再会した。
 昨年3月11日、工藤さんは仕入れ先の亘理町内で地震に遭い、山元町高瀬の自宅に急いで戻った。ジャキは犬小屋で鎖につながれていた。長女が見当たらなかったため、「まず娘を捜そう」と店に向かった。
 途中で長女と出会い、ジャキを助けに自宅に戻ろうとしたが、既に津波が襲来し、諦めざるを得なかった。2階建ての自宅は1階部分が浸水し、犬小屋は跡形もなく流された。工藤さんは「あのとき、ジャキを連れて行けばよかった」と何度も自分を責めた。
 再会したのは昨年12月26日の早朝。工藤さん一家が修理をほぼ終えた自宅に、震災後初めて泊まり、店に戻ろうと車で出発した直後だった。
 見知らぬ男性と散歩する白い犬。「ジャキに歩き方がそっくりだった」という。工藤さんが車を降りて近づくと、犬が駆けだし抱きついてきた。「よく生きていたね」。涙が止まらなかった。
 保護していたのは、近くの無職菅野長徳さん(68)。震災翌日、自宅近くで泥だらけの犬を連れた青年に「犬が離れず困っている」と相談され、その場で引き取った。飼っていた犬が2カ月前に死んで、犬小屋や餌がまだ残っていた。
 「海の方から来たため、飼い主は津波で亡くなったのだろうと思った」と菅野さん。偶然にも、工藤さんの焼鳥店と同じ「仁(じん)」と名付け、大切に育ててきた。
 菅野さんは「再会の場面で甘えたような犬の鳴き声を初めて聞き、工藤さんが本当の飼い主に間違いないと分かった」と話した。工藤さんは「ジャキは死んだとばかり思っていた。いい人に巡り会えて幸運だった」と感謝している。


  


Posted by 編集長 at 01:49Comments(0)しみじみ話

高橋バイオリン工房~高知県四万十町~

2011年04月30日

イタリアでバイオリン制作の修業を約10年積んで帰郷した、高岡郡四万十町の高橋尚也さん(31)がこのほど、同町本町の商店街にバイオリン工房を開いた。
音楽関係者も「県内で初めてでは」と注目しており、高橋さんは「まだ駆け出しだが、まずは県内の方に知ってもらえるよう精いっぱいやりたい」と励んでいる。

「ちょっと飛びますよ」。のみの先に神経を集中させ、堅いモミの木をずりっ、ずりっと削っていく。身長182㌢の体が時折揺れる。

ボディー部分は、表板と裏板、中板の三つを張り合わせて作る。板の厚さは計器で測り、最後は手で触った感触が頼り。ニスを30回ほど重ね塗りして仕上げる。

「板の厚さや隆起、内部に取り付けるバスバー(共振用の部品)の角度とか、いろんな要因が組み合わさって音色が決まる。まだまだ自分の中で完成型があるわけじゃない。1本1本が挑戦です」

四万十町香月が丘の出身。兄の影響で中学生のころからエレキギターを弾き、音楽に親しんだ。バイオリンは、中学3年生の時に見たアニメ映画「耳をすませば」でバイオリン職人を目指す少年の姿に感激し、意識するようになったという。

自身でバイオリンを弾くことはなかったが、高校卒業後に東京の音楽専門学校に入学。思い切ってバイオリン制作を学んだ。職人の技で音色が決まる魅力に次第に取りつかれ、「いつか自分の工房を開く」と決意。修業のため、イタリアへ渡った。

バイオリン職人が集まる北部の町クレモナ。父親が有名な職人だったシメオネ・モラッシーさんのアシスタントになった。
「ストラディバリの修理にも携わった。削りは荒っぽく見えるけど、音色は強烈。自分の理想の一つ」

28歳の時、チェコのコンクールに出場。15時間以内にネックの先を作る競技に臨んだが、結果は約40人の中で中位に終わった。
 
「いい作品は削りの中に大胆さがある。自分も外見の美しさだけでなく、音色を含めた全体を見通す目を鍛えないと」
 
今年2月に帰国。多くのバイオリン職人が東京や大阪で開業する中、「故郷で作りたい」と迷わず帰郷した。3月末、四万十町の空き店舗を借りて工房をオープンした。
 
制作には1本1カ月はかかるという。「制作だけじゃなく、どんな修理も請け負う。気軽に相談してください」。素朴な笑顔の中に気迫が漂っていた。
 問い合わせは、高橋バイオリン工房(080・6392・6900)へ。


  


Posted by 編集長 at 20:51Comments(0)いい話

おめでとうございます!

2010年11月21日

合格までには、ご本人の努力、意志の強さは勿論のことですが、この盲導犬が、一番の支えになっていると思います。また、ご家族、応援し続けてきた周りの方々の力強い支援があってこその合格であると思います。

  


Posted by 編集長 at 17:00Comments(0)嬉しい話

盲導犬について~やなせたかし

2010年11月21日

僕には盲導犬ユーザーの知人がいます。彼は画家で、家族の支えもあって絵を描き続けています。彼の盲導犬との訓練を見に行ったときは、盲導犬が交差点でぴたっと止まったりして本当に感心しました。

また、目の見えない人の集まりで、鳥の声を聞いたり電車の通過する音を聞き分けたりするとても楽しい会に出席したとき、盲導犬が来ていたこともあって、盲導犬には割合と興味がありました。
犬のいいところは全ての動物の中で非常に忠実だということと、一緒にいるとこちらの気持ちが和やかになるということです。犬は家族ですね。これは言葉ではないのです。真剣に接すれば人間の気持ちを犬はわかっているように思いますね。
人間は一生を一回しか生きられません、つまり片道切符であるその命はとても大切です。それならなるべく面白く楽しく生きていかなければもったいない。人間にとって一番面白くてうれしいことは人を喜ばせることです。皆がお互いに助け合って生きていくのが我々の社会だと思います。日本にはいろんな補助犬がいるけれど、いやいややっているのではなく人を助けるということを犬も喜んでやっていますね。人間にしろ動物にしろ、働いて人を喜ばせるということが一番うれしいのだと思います。

  


Posted by 編集長 at 11:11Comments(0)しみじみ話

2009年3月盲導犬:3人に貸与、高知で給付式 

2010年11月21日

盲導犬:3人に貸与、高知で給付式 「大切な家族の一員」  

盲導犬の給付式が19日、高知市本町5の高知会館であり、県内の視覚障がい者3人にそれぞれ、訓練を終えた2歳のラブラドール・レトリバーが貸与された。

 貸与は県盲導犬協会(片岡卓宏理事長)が1972年から実施。県の給付や篤志家からの寄付を受け、今回を含め計26頭を視覚障がい者に引き合わせてきた。現在も6頭が活躍している。

 3人は、竹村幸恵さん(28)=佐川町▽水田明子さん(70)=高知市▽吉岡邦広さん(30)=同。

初めての盲導犬という水田さんには「アリア」(メス)、
2代目という吉岡さんと竹村さんには「エルマー」(オス)と「ツゥルー」(メス)が貸与された。

3人とも既に4週間の合同訓練を終え、盲導犬との生活をスタートさせている。

 竹村さんは「仕事はきちっとしてくれるが、眠そうにしていることが多い。でも、そんなところも愛きょうがあって大好きです」と喜んでいた。水田さんは「これまでは外出を控えることが多かったが、盲導犬といると外に出ようという思いがわいてくる。大切な家族の一員になりました」と笑顔。吉岡さんは「先代と比べるとまだ訓練が必要だが、優秀な盲導犬になるように一緒に経験を積んでいきます」と話していた。

  


Posted by 編集長 at 11:07Comments(0)

県職員採用試験を突破

2010年11月21日

大学生のころ全盲となり、現在「県視覚障害者の就労を促進する会」会長の吉岡邦広さん(32)=高知市=が19日、身体障害者を対象とした県職員採用試験に合格した。

点字試験導入を求めて請願活動を行い、導入が実現した08年度から毎年挑戦していた。点字試験での合格者は県内初。吉岡さんは「視覚障害者でもしっかり仕事ができることを証明したい」と笑顔で話した。

 「まずは行政がしっかりしないと。当事者として、中に入って変えていきたい」。障害者雇用を進めたいとの思いで、3年の浪人生活を耐えてきた。1日平均6時間してきた勉強は、今年の夏ごろから2時間増。挑戦し続けた理由は、もう一つ。「ただ、働きたい」。職に就けず、社会の中で自分の居場所を見失いそうになることもあった。

 幼少のころ、白血病の治療時の副作用で緑内障に。右目が見えなくなった。左目の視力も少しずつ低下していく。高知大に入ったが、レーザー治療など治療との両立が難しく、2年生になる前に休学。見える期間と見えない期間が繰り返しやってくる中、完全に光を失った。

 京都ライトハウス(京都市)でリハビリを受けた。「自分は卒業できるのか」。迷っていると、父一之さん(64)が言った。「結果はどうであれ、頑張っているところだけ見せてくれたらいい」。真っ暗闇の中、一歩、また一歩と踏み出せた一言だった。

 05年に卒業後、大阪で就職活動を始めたが、壁が立ちはだかった。「企業側が障害の種類で応募の可否を決めている」。採用状況を問い合わせた約200社のうち、応募できたのは10社程度。結局就職できず県内に戻った。この経験から、08年に県内の視覚障害者らとともに「促進する会」をつくり、県職員採用試験などに点字試験導入を実現させる運動を続け、点字試験の門戸を開いた。

 試験は2年連続で不合格。今年は、高知市立高知点字図書館のボランティアが試験対策用の参考書3冊を「そのまま試験に使えるほどきれいに」点訳してくれた。10月に1次試験を突破、今月6日に2次を終え、手応えと不安が入り交じったまま合格発表の日を迎えた。

 午後5時。県庁玄関ホールの掲示板に紙が張り出された。室戸市から駆けつけた母由加里さん(56)が受験番号「3」を見つけ、「あった!」。涙をこらえきれず、「良かった。ありがとうございます」と何度も繰り返した吉岡さん。「大変な道だった。一緒に頑張ってくれた人たちのおかげです」と語った。

   県によると、今年度の身体障害者を対象とした県職員採用試験の1次受験者は「行政」「学校事務」合わせて22人。点字試験での受験者は吉岡さんのみだった。県は、点字試験受験者には学校事務志望を認めていない。

  


Posted by 編集長 at 01:16Comments(0)

県職員採用試験 合格!

2010年11月20日

県職員採用試験合格発表が11月19日にあったが、

視覚障害の吉岡邦広さんが、合格しました!

3度目の挑戦実る。

ご本人も、盲導犬エルマーも、支援を続けてこられた皆さん、おめでとうございました!  


Posted by 編集長 at 12:24Comments(0)嬉しい話

2009年12月 県職員試験 点字で挑む

2010年11月20日


 高知市升形の吉岡邦広さん(31)は今年度の身体障害者を対象とした県職員採用試験を点字で受験し、10月の1次試験に合格した。昨年度に導入された点字試験に合格したのは吉岡さんが初めて。2次試験の面接は突破できなかったが、「来年も挑戦する」と話す。


 5歳ごろに発症した白血病の薬の副作用で、高知大人文学部2年の時に目が不自由になった。リハビリをしながら、7年かかって大学を卒業。大阪市内の職業訓練施設でパソコンの技術を学んだ後、地元で働こうと県職員の道を志した。


 点字試験は昨年度に続く2度目の挑戦だった。一人暮らしをしながら、高知市内の専門学校の受験コースに週5日通った。1次試験は通常の倍の3時間で図形や数学、古典、漢文などの計40問に答える内容だったが、1度目の経験を生かして合格した。


 県職員採用試験の点字試験は、上級試験も含め、まだ数人しか受験していない。「ライバルが増えることになるけれど、公務員をめざす人がもっと増えていけばいい」
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Posted by 編集長 at 12:01Comments(0)

地中の詩人「地底に一筋の光 これが私の進む道」

2010年10月18日

作業服を着たいかつい体の男たちが、固く肩をだきあい、目をうるませた。13日、チリ北部のサンホセ鉱山。8月に落盤事故が発生した際には、多くの人が生還を絶望視しかけた33人全員が、地上に無事、帰ってきた。

 33人はそれぞれ、さまざまな役割を担っていた。14番目に救出されたビクトル・サモラさん(33)は、地中にいた間、心境を詩につづり続け「詩人」と呼ばれていた。

 閉じ込められてから間もなくのころ、サモラさんが書いた詩は、孤立感と悲しみで満ちあふれていた。

 〈多くの日々が過ぎた 何も知るすべもなく ここ地中で 私の涙が流れ始める〉

 だが、自分たちの生存が地上に伝わると、ことばにも希望が芽生えた。

 〈仲間たちよ、士気を高めよう まず組織をまとめ 団結しなければ 祈らなければ 掘削ドリルが間に合うよう 神に頼もう 3週が過ぎ、音はやまない〉

 地上で待っている妊娠中の妻と息子に思いをはせた。

 〈あのころ考えられたのは どんなに悲しいかだけでも 妻と子に伝えられたらと 彼らは私を心から待っている 彼らは入り口にいる 私は地中で泣いていた そしてある朝、掘削が始まり 友らよ、知っているだろう 我々は聞いたのだ チリの人々の声を チリよ、我々はあなたの手の中にある〉

 母親にも「母さんの愛は偉大だ」と詩を書き、地下から送った。妹のアナさん(31)は、「兄にそんな文才があるとは思わなかった。地下の暮らしの中で目覚めたみたい」と言う。

 救助用の縦穴が通ったとき、サモラさんの希望は確信へと変わっていた。

 〈ここ地底に一筋の光が差している これが私の進む道 信仰は失われず 私は生まれ変わった〉

  


Posted by 編集長 at 00:02Comments(0)感動した話

ドリル抱きしめたい思い

2010年10月16日

チリ北部サンホセ鉱山の落盤事故で、地下七百メートルの避難所に閉じ込められた三十三人の作業員のうち、最後に救出されたルイス・ウルスアさんは十三日夜(日本時間十四日午前)、ピニェラ大統領に「(救助のための)掘削ドリルを見た時、誰もがドリルを抱き締めたい思いだった」などと、避難所内部での心境を語った。十四日付のチリ有力紙メルクリオ(電子版)が報じた。 

 掘削ドリルは事故発生から十七日後の八月二十二日朝、避難所に到達。引き上げた時に作業員のメモ二通が付いており、三十三人の生存を確認する決め手となった。

 同紙によると、ウルスアさんは、作業員らがドリルに一枚だけでなく何枚もメモを張り付けようとしたことを明かした。仲間の一人は「パパ、ここから出して」などと書いたという。

 ウルスアさんら救出された三十三人は十四日未明までに、約五十キロ離れたコピアポ市内の病院に全員搬送された。また、救出カプセルの乗り方などを指導するため地下に入った救援隊員も同日午前零時(日本時間同日正午)すぎに全員が地上に帰還。大統領は国営テレビに一連の救出作業の費用が一千万~二千万ドル(約八億~十六億円)だったことを明らかにした。

  


Posted by 編集長 at 06:19Comments(0)

「本物の英雄」と称賛=救出見届けたゴンサレス隊員-チリ

2010年10月15日

 勇気を忘れない-。チリ・サンホセ鉱山から救出された作業員33人が英雄視される中、12日深夜に地下に向かうカプセル「フェニックス」に果敢に乗り込み、救出劇の一部始終を支えた救助隊員にも国内外から称賛の声が上がった。
 作業員の補助や健康管理に当たるため、最初に坑道に入ったのは、国営銅公社(コデルコ)の救助専門家であるマヌエル・ゴンサレスさん。数回の無人テスト後、初めてカプセルに乗り込んだ。
 現場のピニェラ大統領から「(作業員を)連れて戻ってきてくれ」と激励されたが、さすがに表情は緊張。それを和らげようと、同僚は「ビーチで過ごしていると思って(リラックスしろ)」と語り掛けた。
 ゴンサレスさんは約17分で坑道に無事到着。作業員と抱擁を交わし、「事故後初めて対面した人」(AFP通信)に。その後は、地上が救出に沸く中、地下で黙々とサポートを続けた。
 33人救出後に残った救助隊員6人のうち、無人となった坑道を見届けたのもゴンサレスさんだった。最後のカプセルで14日未明に地上に帰還し、ほぼ1日に及んだ作戦が終了。待ち構える同僚からは「すごいぞマヌエル」と声が上がった。
 英BBC放送(電子版)にコメントを寄せた香港の男性は「最初にカプセルに乗り込み、命の危険を顧みなかった彼こそ本物の英雄。救出の高揚の中でもその勇気を忘れてはならない」と称賛した。


  


Posted by 編集長 at 19:41Comments(0)感動した話

救助員マヌエル・ゴンサレス氏が一番えらい

2010年10月14日

深さ700メートルの地下から縦穴を使って作業員を引き上げる――。チリのサンホセ鉱山で繰り広げられている救出劇は、史上例を見ないような人命救助作戦だ。夜を徹しての作業を担う救出専門家や看護師のチームは慎重に作業を進めながら、静かに興奮を味わっている。

 引き上げは13日午前(日本時間13日夜)までほぼ40~50分に1人のペースで順調に進んでおり、同じペースで進めば、14日午前0時(日本時間同日正午)までに最後の一人が地上に出る可能性が高まっている。救出作業は33人全員を引き上げるまで休みなしで続けられる。救助カプセルを動かす作業に携わるのは、チリ銅公社(CODELCO)の救出専門家や軍の看護師など総勢約30人。12時間交代のシフトを組んで作業に当たっている。

 CODELCOチームの1人が、最初に救援カプセルに乗ったマヌエル・ゴンサレス氏だ。鉱山事故の救出では20年の経験があるベテラン。全員を救出するまで地底にとどまり、作業員に必要な指示を与える。「幸運を祈ってるぞ」。地上で待機する救援チームのメンバーに声をかけられ、「じゃあ、後で」と言って縦穴の中に姿を消した。

 地下に下りるのに16分、最初に救出されたフロレンシオ・アバロスさん(31)がカプセルに乗ってから地上に上がるのに15分。ほぼ事前の想定通りのペースだったが、地上のチームには長い時間に感じられたようだ。足踏みしたり、縦穴をのぞきこんだりと、落ち着かない様子が中継映像を通じても伝わってきた。

 「ウィンウィンウィン……」。カプセルが地表に近づいたことを知らせるサイレンの音が響き、やっとほっとした表情が浮かんだ。カプセルの先端が顔を見せたときには、中継映像のカウンターは作業開始から51分30秒を示していた。
  


Posted by 編集長 at 01:55Comments(4)感動した話

<チリ落盤>1人目が生還…地下700mに69日

2010年10月13日

チリ北部コピアポ郊外のサンホセ鉱山落盤事故で、地下約700メートルに閉じ込められた作業員33人の救出作業が12日深夜(日本時間13日午前)に始まり、最初の作業員、フロレンシオ・アバロスさん(31)が13日午前0時(同13日正午)過ぎ、無事救出された。作業は、掘削した救出用トンネルを通じ特殊カプセルで1人ずつ地上に引き上げる方法。8月5日の落盤事故以来、69日ぶりの「奇跡の生還」となった。

 作業はトンネル(長さ約620メートル、直径約70センチ)に「フェニックス(不死鳥)」と名付けた救出カプセル(長さ約4メートル、重さ約450キロ)を入れ、大型重機と鋼鉄製ケーブルで地下から20分近くかけ地上に引き上げる。

 無人のカプセルによる試験走行の後、12日午後11時20分(日本時間13日午前11時20分)、地上から救助隊員が乗り込み地下へ。その入れ替わりにアバロスさんとみられる作業員が乗り、地上へゆっくりと引き上げられた。アバロスさんは経験豊富で比較的健康なため、後続作業員のテスト役をも兼ねて1人目に選ばれたという。父アルフォンソさんは「最初に出てくるのが息子でうれしい。誇りに思う」と話した。

 救出作業にはチリのピニェラ大統領やゴルボルネ鉱業相らも立ち会い、国家を挙げたプロジェクトとなった。ゴルボルネ鉱業相は33人全員を救出するまで、開始から「48時間かかる」との見通しを示している。

 33人は落盤事故で脱出口をふさがれた後、地下の避難所に保存してあったわずかな食料と水を飲んで生き延び、17日後の8月22日に生存が確認された。

 その後、チリ政府は3台の掘削機を投入し、3本の救出用トンネルの掘削を開始。今月9日、井戸用高速掘削機を使用した2本目のトンネル「プランB」が坑道まで貫通した。

 鉱山事故で閉じこめられた後、長期生存した記録としては、09年に中国貴州省の炭坑が浸水し16人が閉じこめられ、3人が25日後に救出された例がある。

 また、1963年米ペンシルベニア州で、落盤事故で地下約100メートル地点に閉じこめられた3人のうち、14日後に2人が救出された例もある。

 チリ政府は迅速な救出作業を期待し、現地時間の日付が変わる前に1人目の救出を目指していた。救出された作業員は医師による問診の後、家族と対面。その後、ヘリコプターでコピアポの病院へ搬送され、精密検査を受け、2日間入院する予定だ。

 サンホセ鉱山周辺では大勢の医療関係者や家族・親族、報道陣らが詰めかけ、救出作業を見守った。

  


Posted by 編集長 at 12:19Comments(0)感動した話

救助

2010年06月17日

 JR鶯谷駅(東京都台東区根岸)でホームから線路に転落した目の不自由な男性(34)を救助したとして、東京消防庁は17日、さいたま市の会社員、武末慎さん(36)に消防総監感謝状を贈呈した。

 同庁によると、6日午後2時ごろ、鶯谷駅山手線のホームで目の不自由な男性が線路に転落。反対側のホームで娘2人といた武末さんは「ドサッ」という音で転落に気付き、「何とかしなければ」という思いで線路に降りた。

 武末さんは倒れている男性を後ろから抱え上げ、ホーム上の通行人と協力して男性を救出した。男性は左足を骨折したが、命に別状はなかった。ホームでは列車非常停止警報装置が押されており、「怖くはなかった」(武末さん)が、救出後、気が付くと運転手の顔がはっきり確認できるほど電車は迫っていたという。

 武末さんはすぐに立ち去っており、同署が名乗り出てほしいと呼びかけていた。武末さんは会社の同僚から話を聞き、9日に名乗り出た。

 武末さんは「助かってよかった。ほかにも手を貸してくれた人がいたので、みんなで表彰されたものだと思っています」と話した。
  


Posted by 編集長 at 15:25Comments(0)表彰された話

ジュラ紀後期の大型ザリガニのハサミと判明

2010年06月10日

1億5000万年前の大型ザリガニだった!

 福島県南相馬市の地層から小学生が見つけた化石が約1億5000万年前(ジュラ紀後期)の大型ザリガニのハサミであることが、千葉県立中央博物館の加藤久佳学芸員の鑑定でわかった。

 発見したのは地元研究会メンバーで昨年の発見当時小学6年生だった只野歩夢(あゆむ)君(13)(南相馬市立原町第一中1年)。ハサミの化石は長さ11・4センチで、体長は40センチと現代のロブスター並みだったと推定される。

 只野君は「すごい化石だと知って驚いた。今度は恐竜の化石を見つけたい」と話している。 .  


Posted by 編集長 at 15:31Comments(0)楽しい話